基調講演

演題 「教育観とは親のもつ幸福観のことだ」

講師 秋山仁 氏(東海大学教育開発研究所教授)

秋山仁講師
プロフィール
生年・出生 1946年10月12日 東京都生まれ
学歴 上智大学大学院理学研究科数学専攻 修士課程修了 理学博士
職歴・経歴 ミシガン大学数学科研究員、日本医科大学医学部助教授、東京理科大学教授を経て、東海大学教育研究所教授。中華人民共和国山東海洋大学客員教授、米国ベル研究所科学顧問
1990年日本が初出場した第31回国際数学オリンピック(IMO)で試験問題を選考する国際陪審員に選ばれた。
NHK教育テレビ「数学大好き」、日本テレビ「教えて!ガリレオ」に出演するなど幅広くご活躍。
著書 「秋山仁の数学渡世」「幾何学における未解決問題集」など多数

秋山先生
 秋山です。よろしくお願いいたします。
 私の職業は数学の定理や公式を日々つくることでございます。まだできたばっかしの,日本ではきょう初めて紹介する定理を皆さんに紹介しましょう。
 正四面体の紙を切って出てきた格好が何になるかというと,どんな格好になって出てくるか私も推測がつかんのだけども,どんな格好であってもそれがタイルになる。タイルになるっていうのは,その格好だけいっぱい持ってれば,お風呂場のタイルみたいに平面上を重なりもなく,隙間もなく敷き詰められるよと。こういうことを証明したんです,おととい。(笑)
 定理の格好できちっと言います。みんな頭の中に入れてください。「正四面体,それはタイルの泉である」と。どういう意味かというと,正四面体を勝手に切って展開図を作る。平べったくすると。そうしたら,それは千差万別,無数に異なる形があるけれども,どれもタイルになるよと。その格好の,いっぱいコピーを持っていれば,それをジグソーパズルのように全部,隙間なく,だぶりもなく,平面全体を敷き詰めることができる。こういう定理ですね。
 さあ,一応数学者としての役割はこれで終わりまして,きょうはPTAのこういう重要なタイトルに関してお話をしなければけないので,それに関してお話をします。
 「教育観とは親のもつ幸福感のことだ」と格好いいタイトルが付いているのは,当然のことながら私が考えたわけではないからです。これは作家の遠藤周作が考えたタイトルでありまして,これに関して少しお話をします。
 その前に最近,ちょっとかかわっていることがあります。北海道の網走というところに,オホーツク数学ワンダーランドというのをつくったんです。2003年の7月27日オープンになりました。きっかけは,北海道PTA連合会というのが今から4年ぐらい前にありまして,北海道の札幌で,講演をしたわけです。
 講演を終わって控え室に帰ってみますと,網走のPTAの方が何人かお見えになっていまして「網走を数学の町にしたい」とお願いしました。
 とってもびっくりしました。何でそういう結論になったのか。数学なんて一番嫌われているのにね,数学の町にしたい。そして「何でですか」と伺ったら,寒いところでは自然科学がとてもよく研究されていて,ノーベル賞を受賞された研究者たち,その大半は北緯45度以北に生活している人が多いと。だから寒いところの利点をフルに発揮して町おこしをしたいと。そして,理科や算数や数学が大好きな若者たちを,私たち大人,地域,教育委員会,市,そういうものが一緒になって,子供たちに数理的能力とか判断力,分析力,観察力,いわゆる今流の言葉で言えば「生きる力を培いたい」。
 考えてみればあの花巻農学校でたった5年しか教壇に立っていなかった宮沢賢治先生。学校を卒業して70年も経った彼らが,すなわち彼らはもう80ぐらいになっているにもかかわらず,「賢治先生から習ったことをおれたちはいまだによく覚えている。そして,人生でとても役に立った」,こうおっしゃっているんですね,異口同音に。こういう教育が本物であろうと。賢治から学びまして,小学校,中学校,高校,大学の数学を,五感を総動員して・・・頭だけで考えるんじゃなくてね,紙と鉛筆で考えるんじゃなくて,見たり,触ったり,実験したり,動かしたり。そして,体験をしながら,作業をしながら,物作りをしながら。切ったり,貼ったり,作ったり,分解したり,また組み立てたりしながら,物事のからくりを自分の目で,手で,心で,確認できるような,そういう装置をつくってやろうと思いまして,その約4〜500の重要な定理や公式,1つずつに関してそういうものを作って,その小学校,1階と2階,廊下,体育館,全部いっぱいになるぐらい作品を作りました。そしてそれを網走に寄付したんです。それが基になりまして「オホーツク数学ワンダーランド」というのができたんです。
 それをつくったのは今言った理由が一つです。もう一つは,数学がなぜこんなに嫌われているのか。子供たちが「勉強なんか冗談じゃないよ,やりたかないよぉ」って言っているんですね。その理由はなんだろうかと。私は数学者ですから,「こんなすばらしい,面白い数学を,どうして少年や少女たちは本気になってやろうとしないのかぁ」と,こう思っています。本当に子供たちが喜んでくれるような数学をしたほうがいい。こういうふうに思いまして,ワンダーランドをつくったんですけど,もう一度スクリーンをちょっとご覧になっていただきましょう。
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 網走の人は太っ腹の人が多いんですね。「もうみんな入場無料,みんな寄ってこい!」って言ったら,すごく来たんです,人が。1年間で1万人を超えちゃったんです。交通の便はまったく悪いとこなんです。車以外では来れないところなんです。1万人超えちゃったんです。そして。網走の人たちは「しまった!」って言って,その翌年から金取るようになった。(笑)子供は2〜300円ですけどね。みんな近くの農業の人とか……。能取漁業組合の漁師さんたちとか,学校の先生,定年退職になった方,商業の方,お店やっている方とか,医者とか歯医者とか。いろんな人たちが自分たちのできる範囲で子供たちを喜ばせよう,夢を持たせよう。こういうので2年前からみんな手弁当でがんばっていただいております。
 一つの地域と教育委員会とPTAと子供と。これが一体となって実際に何かやっていこうよと。こういう試みで私が関連しているところを紹介させていただきました。
 さあ,きょうの本論に入ります。今までの教育というのは本当にいいものだったんですか? 今から100年ぐらい前に,日本と同じように大変教育が難しくなってしまって,学力低下,意欲も低下してしまった国,いっぱいあるんですけど,その中ですばらしい国に変わった国もいくつかあるんです。例えばノルウェー,スウェーデン,フィンランド,デンマーク。北欧のスカンジナビア辺りの国々です。国を興すためにはどうしたらいいか。教育をきちっとすることだと。人づくりは国造りにつながるんだと。教育は国家100年の計。経済の復興も重要である。医療も福祉も政治も外交もすべて重要であるが,すべての基本になるのは教育であると。こういう信念の下にデンマークの教育者ニコライ・グルントビーという人が立ち上がったんです。この人が残した著書にこう書いてあります。
 「われわれは死に至る学校をよく知っている。死せる言葉でもって得々とすることを名誉とし,完璧な文法,完璧な学習のみを理想とし,人々の生活や心を無視していた学校をよく知っている。そのような学校に通っても,そこで受けた教育が自分の人生にとってほとんど役に立たなかったことをわれわれは経験的に知っている。たとえ天使が書いた文章であっても,それは読み手や習い手の生活や心に溶け込めるものでなければみんな死んだものだ」。
 OECDで国際学力比較というのをやっています。こういう国々は今,トップクラスの国々。日本と韓国もトップクラスなんだけれども,北欧のトップクラスの国と比べると重大な違いがあるんです。それは何かというと,彼らは「勉強が面白くてしょうがない」と言っている。日本の子供たちは学力はトップレベルに一応あるんだけども,「好きじゃない」「嫌い」「役に立つとも思わない。だけども,何だか知らないけどママに言われてやっている」って言っているんですよ。
 そして,当然子供のときに,初等教育で重要なものは徳育です。体育です。ちゃんとバランスと順序というのがあるんです。生き方,考え方,そして体を鍛えると。そして,ちゃんと知能も磨いていく。これが重要なんですけども,徳育なんか日本はかなりひどいよ。お手伝いをする率。日本が20,アメリカ49。席を譲る率,日本19,アメリカ51。ゴミが落ちていると拾うっていうのは5%,日本は。アメリカ34%。
 絶対にしてはならないと思うこと。ちょっと古いデータで申し訳ないんですけども,大体傾向は分かります。親の言いつけに従わない。これは,79年当時は43%。親の言うことは聞かなくちやいけないと思っているというのが43%だったんだけど,それから7〜8年経って86年になったら29%になって,そのあとはどんどん低下して今は10%ぐらい。親の言うことなんか聞かなくていいんだあと思っているんです。アメリカは違うんです。ずっと7割台キープしているんです。うそをつくことはいけないことだと,絶対にしてはならないことだと思っているのは,今日本は4割ぐらいです。アメリカはだんだんうそはついてはいけないという意識が高くなってきて69.6〜77.8。今,80何%になっている。こういう徳育のことでも日本は低下してきている。こっちのほうが学力の低下よりずっと問題だと私は思っています。
 今,大人は知育のほうを心配ばかりしている。知育偏重というんです。漢字が書けなくなった,計算ができなくなった,英語のスペリングができなくなった。だから学力低下だ。大変だ,大変だ。もっとたくさん教えろ,もっと時間を増やせって一部の大人は言っています。私はそれに必ずしも賛成ではありません。もうちょっとはっきり自分の立場を鮮明にすることがフェアだと思いますので,申し上げておきます。
 2002年から日本は全国一斉に新しい教育課程になりました。一人ひとりの子供たちが大きな志を抱いて,そしてその志を自分の意思と努力,がんばり,忍耐によって必ず成就させていく。そういうことを初等・中等教育できちっと伝えるべきだ。こういう信念に燃えて,ゆとりの中で生きる力をはぐくむ教育を推進していこう。私はこういう文科省の審議委員の一人でございました。
 ですから気色を鮮明にするならば,私は推進者の一人であるんですが,ゆとりの中で生きるカをはぐくむという教育に,もうこてんばんにやっつけられました。それもまったくもって分からない理由によって。
 まずスローガンが誤解されたんです。「考えるゆとり,感じるゆとり,こういうものがない。詰め込み,暗記,教師独演型,生徒観客型,こういう教育は実りが少ない。早まき種は実りが少ない。まず,土壌を耕すことから始めよう」というのがわれわれの見解でした。ところが,一部の学者たちによって,「学力が低下する。みろ,漢字が書けないじゃないか。計算ができないじゃないか」,こう言われました。そのときの,ゆとりの教育が決まった直後の学力低下論者たちのその反撃はすさまじいものでした。
秋山先生
 例えば,小学校5年2学期で教える円周率。この円周率が新教育課程になったら3になるんだというデマ! まったく真実ではございません。「今度の教育課程では円周率が3になるって聞いているんですけど,そんないいかげんな教育をしていいんでしょうか」なんていう質問をたくさん私は受けました。まったくそんなことはありません。本当に子供たちの血肉になるような教育をしていかなければいけない。子供たちが学校に行って,努力の方法,努力の仕方。努力するとどんないいことになって,努力すると不可能と思われたことが可能になって,分からなかったことが分かるようになって。達成の喜び。そしてそれが自信につながって,もっと挑戦してみよう。因数分解分かんないけど,がんばってみよう。こういう気になっていく。
 そして,学校は自信と希望を与える場でなければいけない。ところが今までの学校は本当にそうなっていたでしょうか。「おれはダメな人間なんだ。」こういうことを子供たちに感じさせることはなかったと私たちは断言できるでしょうか。私はとても心配です,そこが。勉強のほかにも大切なものが山とあるんです。それこそ落ち込んでいるクラスの友達がいると駆け寄って激励する。もう高校受験の前でみんなが掃除当番をさぼって帰っちゃう。それを一人でコツコツとやる子供。こういう子供は学校の成績が必ずしもいいとは限らない。そういう子供はダメな子でしょうか。勇気や責任感,思いやり,人の心の痛みが分かる。
 おばあさんが大きな荷物を持って歩いていると,世界の若者たちは必ず駆け寄ります。「おばあさん,どこに行くんですか? ぼくがその荷物を持ってお供します」。そういう景色,風景がほとんど見られなくなったこの日本が本当にすばらしい国と言えるのかと。私は朝起きて子供たちが「きょうは何人の人々を幸せにできるか」と思って布団から元気よく飛び起きる。跳ね起きる子供たちが多くいる国がきっと将来幸せになる国だと。
 われわれは経済的に豊かになることには成功しました。そして,子供たちの学力も世界で屈指の平均学力を有する国になって,経済的にも大国になったこと。これはわれわれの先人の方針が正しかったことであって,みんな国民が勤勉であったことに起因しているということは分かります。しかし,デンマークとか,スウェーデンとか,フィンランドとか,そういう国々は経済的にはそこまでではないかもしれないけど,子供一人ずつがとても希望や夢を持っています。そしてそれを実現させるための教育をしています。子供一人ひとりを重要視した教育をしているんです。
 そして,時代は変わってきました。21世紀になって国際時代の到来。国際化,グローバル化,IT時代。こういうものがキーワードになってきました。世界は一つ,狭い世界になってきました。その中で重要な能力というのが何か。巡りゆく時の流れに応じて教育の理念は少しずつ変化する。変わってはいけない,変えてはいけないことがあると同時に,時代の変化とともに変えなければいけない。
 例えば,英語教育を皆さん考えてください。英語教育。一生懸命英語を,皆さんも私もしました。しかし,私,最初に行った国はアメリカ,ミシガン大学ですけど全然通用しませんでした。恥を忍んで英語の学校に行って,クラス分け試験でビリから2つ目のクラスに入れられました。とても恥ずかしかったです。ずいぶん英語は勉強したんです。でも何も聞き取れない。だからダメなんです。
 今の日本人の英語の平均学力。TOEFL(トーフル)というアメリカに留学する試験があるんです。その国別の平均点が毎年発表されるんです。日本はアジア23カ国中22位です。ビリじゃなくてまだ良かった。
 こういう状況でごぎいます。あれだけ英語をやってもこれだと。そしたら今までの文法中心,訳読中心の英語教育をちょっと変えて,コミニカティブで,発信的な教育に変えていくというのは自然な姿なんです,時代の変化とともに。かつては洋書を読んで海外の知見を入手したんです。今はテレビやラジオから入手するんです。だから読むことより聞くこと,話すことに焦点を変えていくのは当たり前なんです。
 計算が大切だって,私も数学者の端くれだから分かります。だけれども,計算,計算って,あなた方はどうなんですか。計算,ちゃんとやりますか? それとも「電卓」って言つてやっていますか? きっと電卓でやっているんです。
 基本は当然身に付けさせるというのに私は大賛成です。でも,能力がちょっとずつ変わってきている,求められる能力が。会社のトップたち,経営者はこう言っているんです。幅広い教養,独創的発想,新事業を生み出す力。他人や社会に関心があること。好奇心おう盛で柔軟な思考。やる気がある。こういう能力があれば。学歴とか,どこの大学だ,どこの高校なんて,「そんなものはあてにならない」って言いだしたんです。いい成績で,いい大学を出てきたのに「何だこりゃぁ!」というマニュアル人間と指示待ち人間が大量生産された。「こんなヤツばっかし大量生産する日本の教育何とかしろよ!」というので,1996年に経団連が教育に関する5つの提言と7つのメッセージとか,何かそういうものを出した。そのときに「マニュアル人間」と「指示待ち人間」という新しい言葉が出てきたんです。
 次は,国際的な仕事をあなた方のご子弟がなさることになると思うんです,否が応でも。そのときにこういう能力を持っていることが重要だとアメリカの大学卒業生たちに配っているパンフレット。「学習能力,冒険心,想像力,好奇心,職務能力,言語能力,ユーモアのセンス,感受性,適応性,柔軟性,強力な対人スキル,強い意見を持ち続けること,リスクを進んで取る!」特に9,10,11あたりは,日本はあまりやらせてない。
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 IT時代に求められる能力は情報収集能力。その情報をにらみながら問題点を摘出して解決策を準備して,選んだら実行力っていうのがあって,うまくいかなければ別の選択肢。そして,成功しても失敗しても必ず評価,見直すと。見直すなんていうのは日本ではやらしてない。結局,いろんな人がいろんなこと言っていて,どんな能力をあなた方のご子弟に身に付ければいいかというと,こんなにいっぱいのこと言っているんです。読み書き,計算などの基礎・基本,幅広い教養,論理性,思考力,理解カ,分析力,観察カって,読むだけも大変。
 発想カ,直感カ,企画力,挑戦心,冒険心,パイオニア精神,先駆性ですね,自己修正力,自己学習力とか。こういうのは,本当は重要なんだけどできない。こういうところをご家庭や社会でちゃんと補完していかなきゃならないんだよということも認識していただかなければいけない。
 ところが,ちゃんとそういう教育を,今から100年近くも前にきちっとやっていた人があるんです。宮沢賢治先生です。宮沢賢治先生は花巻農学校で25歳から29歳のたった5年間ぐらいしか教壇に立っていない。花巻農学校は乙種の学校でしたから,生徒さんたちは必ずしも恵まれた才能があったわけではないんです。ところが賢治先生は授業を大変工夫して,子供たちの心に溶け込み,そして子供たちがやる気を出して自発的に勉強するそうです。
 賢治は土壌学の先生ですから,「窒素は重要な肥料だ。このことを農学生たちに教えたい」。こう考えたらいろいろ工夫して,いろんな小道具も授業に持っていったそうです,お土産と称して。で,賢治先生は,窒素は重要な肥料だ。生涯このことを子供たちに理解してもらおう。そのために神社に行って神主さんからしめ縄を借りてきました。そうすると農学校の生徒で半分ぐらい寝ているんです。ところが「あ,賢治,何んか変なもの持って行ったぞ」,隣の生徒が寝ている生徒を起こす。「どうだ。みんな,これ何だか知っているかあ!」,すると「先生,それしめ縄。どうしたんだ」。こう,子供たちに反応させるんです。そして「そう,今日の授業の目的は,何でこんな変な格好をしたものが神社に奉ってあるのか,その理由を理解することである!」。ちゃーんと目的をはっきり言う。
 そして,子供たちに考えさせる。授業の主体は子供たちである。主役は子供たちで,先生は脇役でおとなしく控えてればよろしい。賢治先生はそう思っているんです。子供たちが一生懸命授業で喜怒哀楽。感動したり,怒ったり,考えたり,いろんなことを感じさせることが目的だ。そして,「これ何だ。なんであんな変なもの。そう言われてみればしめ縄って変な格好してんな」「先生,ヒントください!」,普段あまり発言しない子供が手を挙げるんです。
 日本の小学校,たくさん生徒の手が挙がります。中学校になると激減します。高等学校になって手を挙げる生徒,「天然記念物」と言われています。すなわち,学習することを否定する教育をしているんです。アメリカは違います。だんだん手が挙がるんです。小学校も挙がる,中学生も挙がる,高校生も挙がる。もうどんどん手が挙がる。食い下がってくる。「自分と意見が違う」って。日本だったら「おまえはもう一回考え直してこい!」って言って一喝して終わり。ところがそうじゃないんです。もういくらでも議論を仕掛けてくるんですね,学生が。そして考えるんです。それをやらせているんです。もう授業の風景を180度変えなければいけない時代が来ているのに,明治以来からずっと同じ授業をやっていることの方がおかしいということです。
 でも,賢治は今から70年,80年前にちゃんとした授業をやっていたの。子供たち,そのうちに「先生,ヒントください」「そうか,ヒントか。これはお天気に関すること3つを象徴している図だ」「お天気?」なんて言っている。「太陽もないし……。そうか,先生あの白い紙でできたギザギザみたいなヤツ,あれは雷の稲妻か!」「そうだ,よく分かった」って。
 賢治先生は3つ褒めたそうです。そして1つ諭したそうです。皆さんはご家庭でどうですか? 1つ褒めて10個けなす? こういうのはいけないんです。褒めるほうがちょっと多くなくちゃいけない。賢治は3つ褒めて1つしかる。3対1の法則というんです。「しかる」というのは「怒る」と違うんです。「怒る」というのは感情的に「ダメー!」って言って怒るんです。理路整然と子供に分かるように「諭す」,これをしかるという。
 賢治先生,褒めて。そうするといつも手を挙げないヤツが先生に褒められたから,今度は別のヤツが「先生,じゃあ,その茎みたいなの,それ雨か?」「そうだ。おまえは感性に富んでいる。すばらしい。将来大物になるぞ」なんて先生が言うんです。先生に言われると子供たちは,もうすごく喜んじゃうんです。そして,「じゃ,あの横綱みたいなヤツ,雨が出てくるところだから雲だ!」「そうだ。しめ絶というのは雲と雨と稲妻を表しているんだ」と。「雲があるところに雷様が落ちると刺激されて雨になり,そして放電して,窒素がバラバラになって空気の中に入っているんだけど,その雨とともに地中に溶かし込まれる。窒素はおいしい作物にとってはごちそうだから,それを食べて太るんだ,作物が豊作になる。そう,五穀豊穣を願って,神社に雨よ降れ,雷よ落ちよ。こういう形が奉ってあるんだよ」って賢治先生が言って。
 そこまでは普通の先生,賢治先生は何が違うかって,「さあ諸君,諸君の五感を総動員して。今私が言ったことを感じてもらおう」。そう,感じるためのゆとり,考えるためのゆとりを目指した教育が2002年からの教育のはずなんです。
 みんな外に出て,先生は「この村で一番雷が落ちるところはどこだ。諸君は知っているか?」「あっちの火の見やぐらよく落ちます」「じゃあ,火の見やぐらにみんなで行ってみよう」。みんなで連隊組んで行くらしいんです。道すがら,田んぼの稲の穂に自らの手を当て「肌でその生育状況を確認しなさい」「先生,ここはとっても実りが豊かというか,実が厚いです」「そうだ。ね,雑草なんか一つも生えてないだろう」。で,隣の畑に行ってみると,「先生,ここは何かほとんど実がありません。薄いです」「よく見てみろ。ジシバリ,これはスギナ」とかね。「これは酸性土壌といって,そのときは消石灰をまいて地面を中和しなければいけない」とか何とか言って。その火の見やぐらのふもとに行ったら,ほぼたわわに稲が実っているんだ。賢治先生胸張って,「どうだ諸君,私が先ほど授業で言ったことが分かったか」。さあ,窒素のほかにもいろいろ重要なカリとかリンとかそういう肥料がある。それはその夏,梅雨時の降雨量とか湿度とか気象の変化とか,こういうものに応じて混合比率を変えて,地面のpHっていうのは酸性,アルカリ性がどのくらいか。こういうものを考えていかなければいけない」。こういう授業をやっていたんだって,1時間ずつ。だからもう賢治先生の授業は,生徒たちは一生懸命聞いちゃって。
 教え子の証言。「先生たちは授業の初め30分も掛けて黒板にびっしり字を書いて,それらをノートに写させるんです。そして後半はそれをちょっと詳しく読んで終わり。60年も経つとそういう授業は全部忘れてしまいます。勉強するときだけ忙しくて,でも卒業するとすっかり忘れて,何の仕事の役にも立たない抜け殻の学問だったんです。
 でも,賢治先生の授業は違うんです。例えば酸性土壌というのを教えてくれるとしましょう。すると先生はこう言うんです。酸性土壌かどうか見ればスギナとかジシバリが生えているんですぐ分かる。見つけたら消石灰をやって土をなだめてやらなくちゃいかん。目で見えるように教えてくれたんで,実生活で役に立ちました」って言っているんです。
 教え子Bの証言。「肥料の教科書はチリ硝酸とか石灰窒素,硫酸,アンモニア,過リン酸石灰など,舌を噛みそうな薬品の名前がズラズラ出てくる。それで,それに○が付いていたり,線でつながれていたり,バッテンが書いてあったりして。要するにこれとこれを混ぜちやダメとか,割合はどうとか,数学の計算みたいなことばっかり出てくるんですよ。そんな暗記は,私はチンプンカンプンで,下手でした。ところが賢治先生の授業,教え方は目に見えるんで,頭に入ってきました」。
 賢治先生の教え方。「人糞・尿に石灰窒素を入れて畑にやっちゃダメだ。そんなことをするとせっかくの尿の中のアンモニアが効かなくなってしまう。今,諸君の家では便所にうじ虫が湧くのを防ぐために灰を入れるだろう。でもそれだと肥料としては使えなくなっちゃうんだよ」とかね。
 今,平成基礎科学財団というところで,小柴先生というノーベル賞の方と一緒にお仕事を私してます。この先生はこうおっしゃっています,いつも。「子供たちは教科が好きだから,その教科を教えている先生を好きになるんじゃなくて,先生が好きだから,その先生が教えている教科を好きになるんだ。…」「その年代に好きな教師と出会うこと,その教師がその科目を好きで教えることが子供たちに数学や物理を好きにならせる秘訣なんだ」と。
秋山先生
 大人への5つの提言。まず,大人は子供のことばっかしダメだ,ダメと言わないで,まず大人自身が生活態度を改め,社会規範を確立しよう。2番目,家庭の中の教育のあり方,もう一度見直そう。父ちゃんも教育に参加しなければいけないよ。3番目,社会の変化を認識し,受験に偏ることなく,新しい時代の価値観を見据えて子供の教育について考えよう。子供は両親,家庭の宝である。言うまでもありません。大きく言えば,地域の宝です。それは国家の宝だ。それは人類の宝だ。みんなで子供を育てようではないか。5番目,大人自身がまず夢を持って新しいことに取り組みましょう。今日からどうですか,英会話に取り組んだらどうでしょうか。何でもいいんです。新しいスポーツやってみよう。それを見て,子供たちは「そうか,スポーツって面白そうだな」って思うんです。
 こんな調査があります。質問1,「あなたはあなたの子供を誇りに思っていますか」。日本,韓国,フランス,アメリカ,4カ国に対してやりました。そうすると,アメリカは92%の親が我が子に誇りを抱いています。フランスは80何% 韓国が70何%。日本は40%弱。我が子に誇りを抱いているのは4割しかいないの。高学年,学年が上がるに従って減ってくる。これはどういうことなんでしょうか。たかが勉強ができないからでしょうか。勉強が好きな子供のほうが私はおかしいと思っています。皆さんはどうでしたか?子供のころ勉強好きでしたか?普通,勉強は嫌いなんです。それが健全な発育の段階だと私は思っています。みんなと遊ばせることが大切です。大空の下で,みんなと一緒に仲良くしたり,けんかしても仲直りしたり,動物を飼ったりして,そして自然とともに子供たちは育つんです。遊んで育つんだと思っています。因数分解やって育つはずがないんです。ここら辺が分かりません,私は。
 次の質問。「あなたはあなたの両親を誇りに思っていますか」。逆に子供に聞いているんです,親のことを。日本は4割ぐらい,父ちゃんや母ちゃんのことを誇りに思っていて,アメリカは9割。「おれのおやじはすっごい車の運転うまいんだ。母ちゃんはお料理がうまい」。いいところをちゃんととらえて褒めるんです。日本はどうしてでしょうか。子供の悪いところを見て嘆く。じゃなくて,いいところ見て,そして喜んでください。
 質問3,「あなたは将来なりたいものや,やりたいことがありますか」。アメリカ90%,フランス80%,韓国70%,日本38%。将来は看護師になってとか,パン屋さんになる,野球の選手になる,サッカー選手になるとか。何でもいいんです。そして,それに向けてあとは努力するという術,自分の意思と努力によって自分の人生を切り開いていくんだということをきちっと教えることです。能力なんか関係ない。親が貧乏だ,金持ちだ,関係ない。私,今まで83カ国で教壇に立ってきましたけども,ほかの国ではそうさせる。日本はどういうわけか「おまえは利口,おまえはパカ」みたいなことをやる。絶対,いけない。子供をこれは殺してしまいます。
 「今,何がしたいですか」という質問に対してね,あんまりしたくないと。人並みでいい。努力はしたくない。大変なことは誰かできる友達にしてもらいたい。こういう子供が多い,主流なんです。これは価値観ですからね,ちょっと寂しい思いはする。
 教育のあり方見直そうって言ったけど,二人の文人の異なる考え方,紹介しておきます。遠藤周作。これ,きょうのタイトルにしました。「自分の経験から受験のための教育がどんな意味がないか私は知っている。そうなったのは親にちゃんとした教育観がなくなったからだ。教育観とは親がもつ人間の幸福感のことである」。遠藤周作は進学の名門灘高校を出て,そして慶応仏文科に進んだ男です。そしてその彼が受験のための教育が何の意味もなかったと,こう言っているわけです。「この人がいなきゃわが社やっていけないよ」って言われるそういう縁の下の力持ち。ね,「この人と一緒だったら辛い,長い旅にでも一緒に出掛けよう」,そういう人々から信頼される子供をつくるのか,それとも何だかお勉強がとってもできて,そしていい大学に行って,いい会社に入って,エリートコースまっしぐら。いや,それも悪いわけじゃないですよ。そのどれを親が幸せだと思っているかによって子供の教育は変わってくるよと。遠藤周作は言っているの。
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 壇一雄はこう言っています。子供たちに残した色紙,「おまえたちの人生が多難であることを祈る」。普通,無難であることを祈っちゃうのが親なの。そうじゃないよと。下の句をあえて付け加えれば,「子供たちへ,おまえたちの人生が多難であることを祈る。なぜならば,人生が多難であればあるほど心優しく,たくましく,いろいろな経験をして,そして実り豊かな人生を送るに違いないから」という意味だと思います。
 これはどちらかというと,父型の,父性の子供に対する愛。だからこういう厳しい愛。14歳になったんだから自立しろ! いつまでも親に面倒をみてもらうようなことはやめろ!部屋の挿除,片付け,炊事,便所掃除,風呂掃除。全部そんなものは若者がやれ! これが世界の普通の考え。ところがみんなお母さんが「もうすぐ期末試験でしょ。大変ね,お母さんが何か夜食作ってあげるから」なんて,もう夜食なんか絶対食わすな!(笑)と,壇一雄が言っている。私が言っているんじゃないんですよ。
 幼少期から特にカを入れるべき教育事項。あいさつ,礼,謝る,尋ねるなど,他人との基本的コミュニケーション,これを取らせる。「おはようございます」「ありがとうございました」,当たり前のことがちゃんと言える。時に相手の失敗を寛大な心を持って許す。弱者や他人への思いやり,約束,実行,守ることの大切さ。人付き合いなどの基本を身に付けさせることが重要です。九九を覚えさせるよりも先にやるべきことなんです。適度な睡眠,運動,規則正しいバランスの取れた食事,健康的な生活の習慣を習得させること。良いところは褒めて,間違ったら愛情を持って理路整然としかり……。なぜ褒められたか,なぜしかられたかの理由を自分できちんと考える習慣を付けること。家の手伝いを担当させ,勤労精神を培い,人の苦労を共感させ,正しい労働感。みんな親がやってやるなんてとんでもない。人の苦労を共感させる。勤労精神を養う。何でも自分の思い通りになるわけでなく,時には堪え忍ぶ。「買って,買って。これ欲しい」「ダメ!」,ちゃんと我慢させるこの重要さ。なぜなら人生はほとんど我慢しなければいけないから。適切な額の小遣いの中でやりくりに責任を持たせ,小遣い帳を必ず付けさせる。これも小遣いやって,勝手に使って。「おれがもらった小遣いだ」なんてとんでもない。小遣い帳をちゃんと付けさせ,正しい金銭感覚をはぐくむ。これが重要。
 さあ,次の知育のところ。早期教育ってどんどんやれば,中学校1年のときに中学2年のことを教えれば,見掛けの学力は付く。そんなことをやっても何にもならないということを,平野虎之助という有名な数学者は言っている。「できる時に乗じてできることを教えず,できる時期を待たずしてできないことを教え込んで……」。ね,できる時期を待たずして「できない」と言って,子供みんなを殺しちまう。
 学校の勉強時間数だけ増やせばいいってもんじゃないですよ。フィンランドは世界学力テストで1位の国です。小学校では年間530時間,日本は709時間やっています。中学ではフィンランドは815,日本は875。すなわち,授業の質が重要なんです。もっと本を読みたい,もっと算数の考え方を学びたい,もっと理科に関して勉強したい,歴史に関して勉強したい。そして,図書館に行ったり,インターネットで検索したり,先生に質問に行ったり。こういうことが重要ですよと。学校だけで全部賄えるものではないんですよと。
 さあ,今度は地域ぐるみで子供たちを育てよう。ロバート・フルガム。「人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ。人間どう生きるか,どのように振る舞い,どんな気持ちで日々を送ればいいか。本当に知っていなければならないことを私は全部残らず幼稚園で教わった。人生の知恵は大学院という山のてっべんにあるのではなく,日曜学校の砂場に埋まっていたのである」。何でもみんなで分け合うこと,ズルをしないこと,人をぶたないこと,不思議だなあーと思う心を大切にすること。こういう重要なことはみんな幼少のころに身に付けることですよ。学校へ行ってからじゃあ手遅れなんですよ。ご家庭で,地域社会でやることですよと。
 次のドロシー・ロー・ノルトの言葉。「けなされて育つと子供は人をけなすようになる。トゲトゲした家庭で育つと子供は乱暴になる。不安な気持ちで育てると子供も不安になる。かわいそうな子だと言って育てると子供は惨めな気持ちになる。子供をバカにすると引っ込み思案な子になる。親が他人をうらやんでばかりいると子供も人をうらやむようになる。しかりつけてばかりいると子供は自分は悪い子なんだと思いこんでしまう。励ましてあげれば子供は自信を持つようになる。広い心で接すれば切れる子にはならん。褒めてあげれば子供は明るく育つ。愛してあげれば子供は人を愛することを学ぶ。認めてあげれば子供は自分が好きになり,見詰めてあげれば子供は頑張り屋,歯を食いしばって頑張る。分かち合うことを教えれば子供は思いやりを学ぶ。親が正直であれば子供は正直であることの大切さを知る。子供に公平であれば子供は正義感のある子に育つ。優しく思いやりを持って育てれば子供は優しい子に育つ。守ってあげれば子供は強い子に育つ。和気あいあいとした家庭で育てば子供はこの世の中はいいところだなあ,生まれてきて良かったと思うようになる」
秋山先生
 帰ったら,ご子弟にこのことをお伝えください。秋山から。何でもいいよ,やりたいこといっぱい志立てて,自分流横綱を目指してくれ。そして本をいっぱい読もう。賢治を読もう。漱石を読もう。ヘッセを読もう。新渡戸稲造を読もう。武士道を読もう。そして,感動を求め,山や海,映画を見に行ったり,劇場に行ったり,コンサートに行ったり,展覧会,寄席でもいい。どんどん出掛けろ。感動をいっぱい味わった子供は人々に感動を与えんと欲す。そしていろんな職業について学ぼう。すばらしい職業がいっぱいある。そして,どの職業も大変なことがいっぱいある。それを考えて自分の将来を決めよう。若いうちに語学をマスターさせましょう。21世紀に羽ばたく皆さんのご子弟は英語,ドイツ語,フランス語,中国語。ガンガンやってください。そして,若いうちにスポーツに汗を流し,友をつくり,強靭(きょうじん)な持久力のある体力を身に付けさせてください。そして,いろんな事柄に挑戦させてください。屈辱を恐れずに挑戦させてください。そして,できれば14歳まで,遅くとも18歳までに自立させてください。自立が親の子離れ,子の親離れ。これを失敗すると惨事が起こります。大学に行くのは基本的には自分の金で行かせるようにしてください。でも,日本はちょっと経済状況が欧米と違いますから,学費ぐらいは出してやらなければいけないかもしれないけど,海外ではほとんど18歳から先は自分で学費,生活費は稼ぐ。だから,高等教育に及んで必死でやる。出会いを求め旅に出してやってください,自己責任でですよ。次,たくさんの真実を語れる友,悩みを語れる友,尊敬する,敬愛する先生,こういうものを若いうちに獲得させてください。そして口先だけで論評する若者が増えています。それでは何もなりません。無から何かをつくり上げる,創作的な,クリエイティブな日。詩を書かせてください,絵を描かせてください。そして,何か物を作らせてください。そして,栽培させてください,飼育をさせてください。いろんな,そういう無から有をつくり出す日々を送らせてください。そして最後は,今日は何人の人を喜ばすことができるだろうか,こう考えて,朝,布団から元気に跳び起きる子供に育ててください。
 まとめ。大空の下自然の教えを聞きましょう−−トルストイ。赤毛のアン−−子供の心に好奇心の火をともすことを教育という。W.W.ワーズ−−いい先生はいろいろと説明する。もうちょっといい先生は範を垂れてくれる。すばらしい先生は何も手取り足取りしないけども,啓発してやる気を起こさせてくれる。オスカー・ワイルド−−To make children good is to make them happy. 正直でいい子を育てたかったら彼らに感動の体験をいっぱいさせることだ。最後,運命の風。「ある船は東に進み,また他の船は同じ風で西に進む。ゆくべき道を決めるのは疾風ではなく,帆のかけ方である。海の風は運命の風のよう。生涯という海路をたどるとき,子供たちのゴールを決めるのは凪か嵐ではなく,彼らの魂の構えである」。すなわち,生き方や思想,これをしっかり中学校,高校時代に培うことであると。同じ学校で,同じ環境で育っても,いろんな人生があるけれども,やっぱしその帆のかけ方,魂の構え方がしっかりしないと正しいゴールにはいかないよと。そして,遠藤周作がこう言ったのをタイトルにさせていただきました。
 ありがとうございました。
(拍手)


2005年11月6日(日)
中田総合体育館にて
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Last update: 2005/09/23